糠田部の千麻呂が麻布を遠く大和政庁に納めに行った宝亀八年から、ちょうど七十年の後、嘉祥元年に諏訪神社が建立された、 |
神社由来書によると、当時この地方の領主佐衛門尉藤原政常の孫に、左衛門次郎政業という人があったが、この一族はもとは信濃の |
国小笠原の産で、この政業が人皇第五十四第仁名天皇の御字、嘉祥元辰年に信濃国諏訪神社を市場村に移し祭った。 |
一は万物の始で、第一の場であるという意味で一場と言ったのだが、後に市場村の字を当てるようになった。古来小糸の谷(さく)三十 |
余村の鎮守であり、小糸の内、鎌滝、大野台、長谷堂、庶子崎、金岡、沢巻、間野、大月、深井、森戸、八木、行馬、法木、長石、根本 |
簑和田、大谷、塚原、高原、駒久保、長和田、堀之内、等二十二村の人々はその氏子である。 |
文徳天皇を経て、清和天皇の御即位式が催されるにあたり、各国郡に神田を作らせ、十一月に至って勅使を下して、各神田より稲穂
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を抜き取りその穂を選んで奉ったが、天皇は穂使が上総の国より献った稲穂を実に珍味であると大いに喜ばれ、これ誠に[秋の元]なり
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と仰せられた。清和天皇の御時、貞観元年十一月のことであったという。これにもとづいて、それ以降この小糸を中心とする地方一帯を |
秋元と呼ぶようになったのである。 |